見知らぬ土地へ夫の言うままやってきて、流行がまだ治らないコロナウイルスと折り合いをつけながら、自分が打てる手の一番最善手を流れるままに打ってきた。
昨年は特にそんな年だったが、そもそも私自身が流浪な性なのだと思う。
良くも悪くも執着はあまりなく、絶対や永遠はあり得ない。
多分、夫や娘が自分を必要ないと言ったら割とあっさり離れてしまえると思う。
それが時々家族を悲しませてしまっていると感じるも、どうも治すことはできないもののようだ。生来のものか、私にもよくわからない。
人はいつか1人になる。だから生活力が大事だと常々思っている。
私は必要最低限の生活が維持できるなら、仕事は選ばないし苦にならない。維持できないとわかったら仕事も変える。
生きるためにはお金が必要。特に自ら命を経つことはさらに膨大なお金がいる。死ぬのは金がかかるのだ。資本主義においては、ある程度稼がなければどうにもならない。
その私に根付く冷え切った根底を夫と娘はことごとくひっくり返していく。夢、希望、優しさ、さまざまな形で覆されていく。今の私にはそれが新鮮で心地が良い。
だから今の漢字は「流」
そして2人の柔らかな流れに乗って、人間味を持ち合わせた人間に少し近づけたらと思う。