今週のお題「かける」
コロナ禍になってもう、3年は経っただろうか。この病気が流行ってからの怒涛の数年を振り返ってみた。
特に香川へやってきてからは、人生に於いて大博打や起死回生に賭けた事が多かった。
自分で言うのも難だが、インスピレーションが降りてくるタイプだと思ってるし、外れたことはほぼないので、危ないと思った時は素直に、背筋を虫が這うような嫌な感覚の時は避けることに注力することにしている。
直感や虫の知らせと言った類のことは言語化するのは非常に難儀で、ましてや違う価値観を持つ人にいくら訴えても「心配しすぎ」の一言で一蹴されてしまうことも多く、数ヶ月や数年後には会社が没落してたり人が転落人生を送っていたりするのだからやるせない。
ほとんどを直感でどうにか乗り越えてきて、心身は摩耗したけれど、自分の人生に於いては得たものの方が多かったと今では思える。
ビッグウェーブ過ぎてラップにできそう。ちょっとやってみる。
見ず知らずの香川に移動
未経験の職業で日々修行
学級閉鎖多発でほぼ籠城
マイナカードとアプリで青色申告
家族の心身は赤色深刻
子供の不登園に悶々
賢人たちの元へと訪問
園も被害者で互いに不幸せ
世のシステムと不条理に思い馳せ
夫にアイコンタクト目配せ
丸亀市にグッバイまた会おうぜ
急務は鬱蒼とした庭の片付け
リノベーションも必要急げ急げ
キュートベイビーももうすぐ産声
目指すは三豊市で旗揚げ
桜咲く日々もすぐそこ
我が家に未来あれ、ボン・ボヤージュ!
意外とできた。ブロガーさんや物書きの人は得意かもしれない。
もし今何か子供や年下の人に教えること、教えられる事があるとしたら、きっとこれに尽きる。
物事には必ず、転機とチャンスがある。
それを見極めるのは自身の気力と体力のあるうちにいくら経験を積み上げられるかだと思う。
あれはダメ、これはダメと制限がある中で生まれることも、もしかしたらあるかもしれない。
けれど、いわゆる知識人や一目置かれる人、ひとつ頭抜けて何か成し遂げた人は要約すると幼少期の過ごし方を、こう残してる人が多い。
「習い事はせず、ひたすら虫を追いかけ回して捕まえていた」
「やりたいと思った習い事を全て体験させてくれた」
「のびのびと、やりたいことを自由にやらせてもらった」
それはきっと人によって違う。
人の出会い、素敵な作品、はたまたそこら辺に咲いてる花かもしれない。
やってみようと意欲や好奇心を損なわず、トライ&エラーを良しとし、何が自分にできるか己を知ってる人が本当の強い人だと最近は思う。
小さいうちからの積み重ねが身を結ぶような場合もあるだろうし、正解なんてない。
けれど私が出会った人たちは、大人になってから苦しんでいると吐露されるのは、奨学金返済に追われているかつての大学生、幼少期は習い事や勉強漬けで遊ぶ自由がなかった裕福または教育熱心な家庭、やってみたい事があっても言い出せない環境や諦めざるを得ない環境にあった人がとても多い。
最近とあるところで聞いた言葉が胸を突く。
衣食足りて礼節を知る
だから私は経験即と直感に賭けて、ここ香川県に来た。
子供が子供らしく過ごせる心優しく温かな人が多いところへ。